
春一番を捕まえに
冬の名残がまだ森のあちこちに残っている頃だった。
枝先には固い蕾がつき、雪解け水が小川をせかせかと走っていく。そんな季節になると、風の妖精たちはそわそわし始める。
「来るよ、来るよ。今年も来るよ!」
ティルは私の肩の上で羽を震わせた。
掌に乗るほどの小さな妖精だ。透き通った若葉色の羽を持ち、感情が高ぶると、羽の先から金色の粉がぱらぱらとこぼれる。
「そんなに慌てなくても、春は逃げないよ」
「春じゃないよ! 春一番だよ!」
ティルはぴょんと飛び上がり、私の鼻先までやってきた。
「春一番を捕まえないと、村の屋根が飛んじゃうんだから!」
確かに、春の訪れとともに現れる魔物《春一番》は厄介な存在だ。
姿は見えず、通り過ぎるだけで納屋の戸を吹き飛ばし、干してある洗濯物を空高くさらっていく。だが、捕まえることができれば、一年分のあたたかな風を瓶に詰めて使えるとも言われていた。
村の人々にとっては、迷惑であり、同時に大切な春の使者でもある。
「じゃあ、行こうか」
私がそう言うと、ティルは胸の前で小さな拳を握った。
「今年こそ、絶対に捕まえる!」
去年も同じことを言って、私の帽子だけが飛ばされて終わったのだけれど。
そのことは、黙っておくことにした。
*
春一番は、丘の上の一本杉に最初に現れる。
私たちは朝早くに村を出て、花の匂いが混じり始めた草原を歩いた。
ティルは風の気配を探るように、私の周りをくるくる飛ぶ。
「まだだね。眠ってるみたい」
「魔物にも寝起きがあるんだ」
「あるよ。だって風だって、ずっと吹いてたら疲れちゃうもん」
妖精の理屈は時々よくわからない。でも、ティルがそう言うなら、きっとそうなのだろう。
丘の上に着いた時だった。
ざわり、と一本杉の枝が揺れた。
次の瞬間、空気が一変した。
ぬるんだ風が一気に駆け抜け、草原が波のようにうねる。
「来た!」
ティルが叫ぶ。
私も急いで背負っていたガラス瓶を取り出した。透明な瓶の口には、銀糸で編んだ網が張ってある。風を捕まえるための特別製だ。
だが、春一番は予想以上に速かった。
私の帽子を吹き飛ばし、上着をはためかせ、瓶を持つ腕をぐらぐら揺らす。
「うわっ!」
「踏ん張って!」
ティルは風の中へ飛び込んだ。
小さな体が吹き飛ばされそうになりながらも、まっすぐ前へ進んでいく。
「春一番! 暴れちゃだめ!」
すると、不思議なことに風の勢いが少しだけ緩んだ。
ティルは両手を広げ、まるで友達を迎えるように笑った。
「みんな、春を待ってるんだよ。花も、鳥も、人間も。だから、そんなに急がなくていいよ」
風がくるりと渦を巻いた。
草花の香りが、ふわりと漂う。
その瞬間、私は瓶の口を風に向けた。
「今だ!」
ひゅうっ、と音を立てて風が瓶の中へ吸い込まれていく。
最後に一枚だけ、桜の花びらが舞い込み、瓶の中でくるくると回った。
コルクの栓を押し込むと、瓶はほんのりと温かくなった。
「やったぁ!」
ティルは私の頭の上でくるくると宙返りした。
「捕まえた! 今年の春一番だ!」
瓶の中では、柔らかな風が楽しそうに揺れている。
耳を澄ませると、どこかくすぐったそうな笑い声が聞こえた気がした。
*
村へ戻ると、人々は拍手で迎えてくれた。
春一番の瓶は広場に飾られ、少しずつ栓を開けて、畑や果樹園へ春の風を届けるのだという。
その夜。
私は窓辺に座り、星空を見上げていた。
ティルはカップの縁に腰かけ、花の蜜をぺろぺろと舐めている。
「ねえ」
「ん?」
「春一番って、本当は悪い魔物じゃないんだね」
ティルはにこりと笑った。
「うん。ちょっと元気が良すぎるだけ」
それから、私の肩にちょこんと座った。
「でも、一人じゃ捕まえられなかった」
「私もだよ」
妖精の声は、春の夜風みたいに優しかった。
「君がいたから、今年も春を迎えられた」
ティルは照れたように羽を震わせた。
窓の外では、どこかの木に最初の花が咲いたような気がした。
長い冬の終わりを告げる、柔らかな風が頬を撫でていく。
瓶の中で眠る春一番は、きっと夢を見ている。
花の香りと、青い空と、そして――妖精と人間が並んで笑う、あたたかな春の夢を。
今回はファンタジー
今回は趣向を変えて、ファンタジーを書いてもらいました。
油断すると、自創作の「召喚士なのに前に居る」を書こうとするから困った。
ロウは主人公でも、メインキャラですらないんだってば。
何かとロウを主人公にしたがるんですよね、チャッピーは。
妖精と人間のバディで、「春一番」を捕まえる話を書いてと頼んで書いてもらいました。
けっこうおもしろい。
次は何を書いてもらおうかな。